いつもは子どもたちの日常を主に投稿しているのですが、今回は運営に関して。
スナーダイ・クマエは1998年にカンボジアローカルNGOとして内務省登録をしていて、当時から国の認可がある団体として活動をしています。
発足当時の代表はメアス・トミー氏でしたが、現在は内務省登録の組織図変更手続きもして、スナーダイ・クマエ卒業生のティト・ラーヴォが代表、長年施設指導員を務めてくれてきたライ・ソカーを院長としています。(メアス博子は事務局長です)
その後、シェムリアップ州福祉局から運営許可を受け、さらに社会福祉省児童福祉課から施設認定書も発行されています。
わたしはあまり自分の考えなどをこのブログに記したことはないのですが、今回はよい機会なので少し長くなりますが書いておこうと思います。
2000年、施設ができてまだ2年の頃にわたしはシェムリアップに移住し運営に関わるようになりました。当時右も左も分からずに来てしまった25歳のわたしは、同じような施設を運営する人たちとのつながりができないものか、あるいはカンボジアの行政がどのような関りをもってくれるのか、とよくそんなことを考えていました。
前者の方はまずどこに他の施設があるのかもわからない、あるいはわかったとしても横のつながりを他団体が求めていないと感じました。その主な理由は、相手にとってつながり持つと支援を横取りされるのではないかという危惧があり、活動の詳細は教えたくないものであったからだと推測していました。もちろんそんなつもりはない、というか、こちらとは考えていることがあまりに違い過ぎてどうしようもありませんでした。
後者の方は・・・いうまでもなく、20年以上前のカンボジアの片田舎であるシェムリアップではまだまだ行政として児童福祉に取り組むという体制はありませんでした。
この20年程の間、まずは自分の関わる施設の活動内容の充実、スタッフの育成、支援者の方々との信頼関係の強化などに注力してきました。
おかげさまでその点に関しては、このブログで細かくご報告している通り、時間はかかっていますが成果を上げてきていると思います。
そしてここ数年でようやく、しかるべき団体と出会いました。
そして福祉局からの査察も始まり、担当者とのつながりもできました。
国際NGOフレンズインターナショナルのシェムリアップ事業責任者から、私たちに不足している書類の作成方法などに関し助言をもらい、内部資料も整備されました。
そして今では他団体から逆に指導をしてほしいという依頼を受けるようになっています。
わたしが当初求めていたのはこういう協力体制でした。
他団体のやり方を批判したり、こちらのやり方と比較するだけで終わるのではなく、共に向上していくような状況を作り出したかったのです。
それは最終的に子どもたちの育つ環境の改善、心の安定につながると思っています。
そして昨日、シェムリアップ州福祉局児童福祉課とフレンズインターナショナル、そしてスナーダイクマエの三者による活動協力合意書ができ、署名が完了しました。
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署名をしています |
20年経って、やっとここまできたな、という思いでした。
今回のことはフレンズインターナショナルのMr.ピセットから提案がなければ実現していませんでした。
これからは活動を続けていく中で、お互いに抱える個別の問題解決について話し合うことや、政府の福祉政策とすり合わせをしながら協力、協働していくことになります。
現在シェムリアップには約70の施設があるそうです。(政府登録の有無は別として)
数年前までは100以上の施設がありましたが、福祉局の調査により運営内容が不適切である施設は閉鎖や別団体と統合されたりしています。
また近年のカンボジア政府における社会福祉政策の下では、貧困だけを理由に施設が子どもを受け入れることはできなくなっています。さらに福祉局への届け出なく、子どもを入れたり、出したりすることもできません。
スナーダイクマエで受け入れている子どもたちのバックグラウンドに虐待、児童労働があるのは、そういった福祉政策に添って適切な受入れをしているからです。
スナーダイクマエの活動は、決して派手ではありません。
日々の暮らしの安寧とよりよい教育環境を子どもたちに提供するために、今後も地味ではありますが、ゆっくりと改善を重ねていきます。
長くなってしまいましたが、日ごろ皆さんに伝わりづらい部分を少しお伝えできればと思いました。
いつも応援していただき、ありがとうございます。
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