これを言われるとちょっと誇らしい気分になります。
敷地内はゴミ一つ落ちていないし、物の整理もできています。
ゴミがあちこちに落ちている町の様子と比較するとかなり清潔に感じられる
のではないでしょうか。
では最初からそうだったのかというともちろんそうではありません。
私がここに来てすぐの頃、一番悩ましく思っていたのが周囲に山のようにあった
ゴミでした。
紙やプラスチックなら拾う気にもなりますが、生ごみも一緒だったのでハエとか
蛆虫もいて、それはもう「ここには住めないな」っていうレベルだったんです。
言葉も何もわからない私が最初に始めたのがゴミの処理でした。
集めては燃やす、生ごみは埋めるか乾燥させてからほかのごみと燃やす。
ひたすらそれを繰り返し・・・。
一日の中でも比較的涼しくて動きやすい早朝と夕方の日課でした。
それを徐々に手伝う子が現れ、人数も増えてきて・・・
今の清掃時間になった、というのは施設をよく知る人たちの中では定番の
お話です。
きれいを保っていくには掃除をし続けないといけません。
駐輪場のお掃除 |
水を飲むコップの洗浄 |
排水管のヘドロ除去 |
もちろん自分の部屋の掃除も |
スタッフが子どもたちに指示します。
私がやっていたことを今ではカンボジア人スタッフが最初から最後まで確認して
見てくれるようになりました。
掃除くらいで大げさだと思いますか?
でもこれを当たり前の習慣にするには日々子どもたちの様子に気を配り、
足りないことは何か、どうやって定着させるか工夫していかないとできない
ことなんですね。
私にとって『当たり前にできること』がみんなにとっては「知らないこと」で
あることに気づいてからは、
そうか・・・知らないんだから教えればいいんだ。
と、思えるようになりました。
何でこんなこともできないのだろう、そればかり思っていても何も変わりません
からね。
幸い私の仕事は子どもに接することなので、繰り返し同じことを話しても特に
苦にはなりませんでした。
相手が大人だったらちょっと嫌になるかもしれませんけど・・・。
今のようにしっかりとできるようになったのはいつからなのか、はっきりした時期は
わかりませんが、子どもたちにとって『清潔に保つこと』がすでに習慣になっている
ことだけは確実です。
要するに、自分できれいな方が気持ちいい!と思えるようになったらもうこっちの
ものなんですよねえ。
それは他のことにも当てはまるし、それがつまり『身につくこと』なんでしょう。
私が教えてきたことを写真のソムライのように小さい子に教えてくれている姿を
見ると、心からやってきてよかったなあと思います。
そして一つずつ自分の中にあるものを子どもたちに託しているという実感を持つ
ことができます。
とても地味なことなんですけどね。
地味の積み重ね、それにつきます。
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