日本語スピーチ

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2012年 第15回日本語スピーチコンテスト 女子1名出場 3位入賞


「がんばるぞ」ヴォーン・ソパニー(スレイニー)

私は小学校の頃からクラスの中でかべにはってある「失敗は成功の元」
という言葉が書かれているのをずっと見てきました。
しかし、それを私はただ読むだけで何も気がついていませんでした。

高校生に入った私はスピーチコンテストに出るために首都プノンペンに
行きました。しかし結果は悪かったです。その時私に期待していた人た
ちに「あなたよくなかったですね。」とか「能力がないね。」という言葉を言
われてしまいました。私はとても残念だったし、恥ずかしいし、「もうどんな
テストがあっても私は参加したくない」と思ってしまいました。
それはこんなくやしい気持ちを消すためです。でも別の人たちには、「今
年は残念だったけど来年もあるからもういちど頑張ってね。」「優勝できなく
ても経験にしてね。失敗は成功の元だから」と優しくはげましてもらいました。
それを聞いて私はとてもうれしくなりました。

そしてそのとき私は 「失敗は成功の元」という言葉に気がつきました。
この言葉を小学校の頃から見ていたことを思い出しました。その時は気が
つきませんでしたが、一度失敗した今の私は理解することができたのです。

「失敗は成功の元」、皆さんこの言葉を聞いてどう思いますか?
私はとても深い意味があると思います。どうしてか、今から説明したいと思い
ます。
「失敗は成功の元」 それは人は夢を目標として頑張ることだと私は思います。
困難があってもそのかべをのりこえて生きていくことだと私は思います。
失敗しても負けずに成功に向けて一所懸命頑張ることです。
そしてそれを経験として私たちが生きているこの世界の中で自分が持ってい
る夢をかなえるために頑張るのです。

こういう気持ちになって、私はもういちどスピーチを受けようというきっかけ
をもらったのです。そして私はまたこのスピーチをくことが出来ました。もしま
た失敗してもどんな困難があっても私はそれに負けずに頑張ると決心しました。
成功できるまで一所懸命努力したいです。

だから皆さんも何でも経験としてやってみてください。
最初は残念な結果でもやって見なくては何もわかりません。
まずやってどんなに難しいか、それによって今まで知らなかった、新しいものが
見えてくると私は思います。
だから皆さんも失敗しても負けずに一緒に頑張りましょう。
失敗は成功の元だから失敗することははずかしいことではないのです。


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2011年 第14回日本語スピーチコンテスト 男女各1名出場 位入賞


「小学生の僕の夢」リアン・ラタナー
父と母が離婚したために祖母は僕を施設に連れて来ました。
その時僕は7才でした。施設に来てからもう5年たって今僕は
小学校6年生になりました。
 小学校に通いながら施設で日本語や英語などを勉強しています。
施設には僕のような子供や中高生が28人一緒に住んでいます。
皆で一緒に勉強したり、遊んだりしています。

施設には毎年日本人の大学生のスタディーツアーが来ています。
彼らが来た時みんなで交流する時間があります。ご飯を作って食
べたり、カンボジアの歌やダンスの発表会をしたりします。交流
する時日本語を使って話しています。彼らと日本語を使うことが
できてとても勉強になります。交流する時彼らによく聞かれるの
は「将来の夢は何ですか?」と言う質問です。最初彼らに聞かれ
た時ぼくは「まだわかりません。」とこたえていました。
その時は将来の夢は何か分からなかったからです。

しばらくしてまた、別のスタディーツアーが施設に来ました。
この時はあるお兄さんが自己紹介で「私の将来の夢はいい医者に
なってけがをした人や皆のような子供やおじいさん、おばあさん
が病気になった時にめんどうを見てあげる仕事をすることです。」
と言いました。そして最後に「みんなもぼくのように自分の夢を
持ってください。そうするとその夢に向かって頑張ることができ
ます。」と言いました。お兄さんが自己紹介した後、別のお兄さ
んとお姉さんも次々と自分の将来の夢を僕たちの前で言いました。
それでも僕は自分の将来の夢が分かりませんでした。

ある日、日本語の授業で先生からの宿題で「自分の将来について」
と言う短い作文書いて来てくださいと言われました。この時です。
僕は先生に初めて怒られました。他の生徒が書いてきたのに僕だけ
将来の夢が分からなくて作文を書くことができなかったからです。
先生が言いました。「人には一人一人自分の夢があるはずです。
そうすると人は努力するようになりますよ。」あの時の日本人のお
兄さんと同じことだったのです。「ラッタナーくんは毎日どうして
勉強しているの?それを考えてもう一度作文を書いてきてください。」
と言われました。この時はよく考えて僕もやっと一つの夢に気づき
ました。それは日本語を使って日本の会社で働くと言う夢でした。
夢を持って作文を書くことができました。その作文を授業で発表し
ました。先生は「夢を実現するためにがんばって勉強してください
ね。」と応援してくれました。僕はとてもうれしくて、もっとがん
ばる気持ちになりました。

ところが、小学校6年生になってからぼくは別の夢ができました。
それは同じく日本語を使って日本のスタディーツアーの大学生や他
の日本人のお客さんに
カンボジア人の生活や習慣などを伝える日本語ガイドになるという
夢です。施設に訪問する多くのお客さんは、とくにカンボジアの子
どもの生活やカンボジア人の生き方を知るために来ています。
今のシェムリアップでは遺跡を説明する仕事としてガイドをしてい
る人が多いと思います。僕はカンボジアの生活や習慣、文化も伝え
ることができるガイドになりたいです。ガイドとしてカンボジア人
と日本人の交流で二つの国をつなげる仕事がしたいです。
この夢があって今僕は学校の勉強や日本語を一生懸命勉強しています。
いつかこの夢が実現できるように目標を持って勉強しているのです。

今、施設を訪問するお客さんの前で「僕の将来の夢は日本語のガ
イドになることです。」と自己紹介で言うことができます。僕は今
まだ小学校6年なので、これから夢が変わるかもしれませんが、今
その夢に向かってがんばりたいと思っています。皆さんも負けない
で夢を持ってくださいね。
夢があったほうが自分は努力する気持ちになるのでいいと思います。
夢を実現するためにがんばりましょう!

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2009年 第12回日本語スピーチコンテスト 男子1名出場 3位入賞


「両親のいない子ども」ネン・サイハー
みなさんは生まれてから、今までなにか悲しかったことはありますか。
もし悲しいことがあったら、みなさんはどんな気持ちになりますか。
みなさんはいろいろなことを考えると思います。そして悲しいことは
2日3日くらいで忘れることもあるし、一生忘れられずずっと心に残
っていることもあります。忘れたくても絶対に忘れられません。

これから私の悲しかったことについてお話ししたいと思います。
私は生まれてから4才まで両親と住んでいました。父は軍人でした。
そのときカンボジアは戦争をしていたので、私の父は戦争で亡くなり
ました。
母は私と住んでいました。ある日、母は私を捨てて遠いところへ行っ
てしまいました。そのときから叔母が私を育ててくれました。
叔母は親切な人でした。いつも自分の本当の子どものように面倒を見
てくれました。
しかし叔父は不親切な人で、いつも私をいじめていました。

今でも覚えていることがあります、叔父は私を米の袋に入れてパイナ
ップルの木がたくさん生えていることころに投げました。他にも私を
牛のえさ箱に入れて魚を取るためのかごをかぶせました。そして叔母
に見えないようにするためにござを上からかぶせました。
私が11歳の時、叔母は私を孤児院に連れていきました。その時私は
安心しました。

孤児院には子どもがたくさんいました。みんな1つの家族のように生活
していました。私はみんなと遊んだり、ご飯を食べたりました。
孤児院に入ったばかりの私がルールを理解していないとき、ほかの子ど
もたちが親切に教えてくれました。そして孤児院では学校に入学するこ
とができるし、外国語を勉強することもできました。私は村で学校に通
っていましたが、毎日朝から晩まで牛を森に連れて行き、えさを食べさ
せなければなりませんでしたから、あまり勉強する時間がありませんで
した。

今は勉強ができて、たくさんの友達がいます。毎日とても楽しいですが
私は時々両親のことを考えると一人で泣いています。
子どもは両親に面倒を見てもらいたいです。そして両親と暮らしたほう
が気を遣いません。
私は今でも母に会いたいし、母と暮らしたいです。昔母は私を捨てまし
たが、母を嫌いになることはありません。もし母がいなかったら、今の
私はいないからです。

私は小さいとき悲しいことがあったので、これから新しい世界にむけて
頑張って勉強したいと思います。そしてどんなに困難があっても私は生
きるためにその壁を乗り越えていきたいと思います。
将来、私は貧しい子どもや私のような子供などに文房具やお金や奨学金
を援助したいと思っています。人間は貧しくても両親がいなくても、
努力すれば夢を実現できると私は信じています。みなさん、自分のため
に頑張って成功に向かって行きましょう。
なぜなら人間は誰でも一生育ててくれる人はいません。大きくなったら
自分でお金を稼いで、社会の中で立派に成長する人になりましょう。






2009年高校生対抗スピーチコンテスト 男子1名出場 2位入賞

「努力」ピァップ・サヴィー
人は色々な不幸や厳しいことがたくさんあります。仕事が辛いとか、
貧しい生活とか。それは逃げることができません。もし人と人が協力
や努力をしたら厳しいことがあっても成功できると私は思います。
今年は中国でオリンピックがあったので応援していました。テレビを
見ているだけでなんだかすごく興奮しました。優勝した選手が金メダ
ルをとって、泣きながら表彰台に立っていました。「どうしてあの人
は泣いているの?」みなさんご存知ですか。
あの選手がこれまで誰も見ていないところで血のにじむような努力を
続けてきたことを忘れてはいけません。
練習してけがをしたり、苦しいことや厳しいこともたくさんあったと
思います。どんな大変なことがおこっても、くじけずにそれをのりこ
えて努力して、それで金メダルをもらえたのです。だからものすごく
感動してうれしくてなみだがでてきたのだろうと私は思います。

みなさん今まで努力したことがありますか。
私は小さい頃両親と生活していたとき、あまり勉強の大切さがわから
なかったので、いつも両親の話はききませんでした、勉強もあまり頑
張らなかったし、毎日遊んでばかりで何も考えていませんでした。20
02年に私にとってとても悲しい出来事が一つありました。
それは母が亡くなったことです。母は亡くなる前に遺言がありました。
「あなたはいっぱい勉強して立派な人間になって、世の中の幸せのため、
ひとの幸せのためにがんばることが母さんの希望です。」
どうしたら立派な人間になれるのかよくわかりませんが、たぶん他の人
に喜んでもらえるように頑張ることだろうと私は思います。

私は今、高校に通っています。クラスではみんなと交わることを大切に
しています。いつも楽しい授業をしています。自宅に帰っても英語や日
本語をがんばって勉強しています。外国語はとても難しくてわからない
言葉がたくさんあります。外国語は2番目の言葉になりますから、頑張
らなければなりません。多摩に日本語は難しくてあきらめたいと思うこ
ともあります。しかしお父さんが「頑張って勉強して下さい」と言って
くれました。その言葉を聞いてだんだんがんばろうという気持ちになり
ます。
今上手に話せないですが、いつか上手に話せると思います。
私は将来何をすればいいのかまだわかりませんが、日本語を勉強してい
ますから、日本語を使った仕事がしたいと思っています。

みなさん、努力についてどう思われますか。今努力しない人が沢山います。
この世の中は努力しないで素晴らしい人生を得られることはありません。
しかし最近は簡単で便利な生活になっているため、甘利努力しないでよい
結果を求めるようになりました。そして少し頑張ってだめだと思ったらす
ぐにやめてしまう人が大勢います。そういうことは絶対にしないように真
面目に頑張ればだんだん立派な人になれるのだと思います。
皆さん、どんな環境でも努力して逃げないで、厳しいことがあってもそれ
がどんなに難しくてもあきらめずに、方法を探って、カンボジアだけでは
なく世界のために頑張っていきましょう。
そしているも笑って、世の中を明るくして、両親そしてすべてのことに感
謝し、友達や周りの人が幸せになるように毎日努力して生活しましょう。

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2008年 第11回日本語スピーチコンテスト 女子1名出場 1位入賞


「物の大切さについて」イェイ・ソケイン
皆さんは毎日どんなものを使って生活していますか?
物は大きくても小さくても新しくても古くても高くても安くてもなんでも
大切です。でも今、物を大切にしない人がたくさんいます。特に若い
学生です。文房具や服やオートバイなどを無駄にしているのです。

私は前に年配の人に聞きました。カンボジアは内戦の後に本当に

貧しい国だったので教育のための文房具や制服はあまりありません
でした。昔の人は貧しいし道具もあまりないのであまり勉強すること
ができませんでした。しかし皆さんは一生懸命働いたり勉強したり
して物を大切に使っていました。

今はどうですか?昔のカンボジアと比べて、最近は色々なものを

輸入しています。今は物がたくさんありますが、物を大切に使って
いる人はあまりいません。特に学生は文房具や服や電話やオート
バイを持っていても、大切にしていません。まだ使うことができるのに
ちょっと古くて流行らなくなると親に新しいものを買ってもらいます。

そして新しいものを買ってもらえなかったら学校へ行かないと言います。

親は自分の子どもが好きで、子どもにもっと勉強してほしいので
買ってあげます。でも子どもたちは親の気持ちを考えないで無駄に
します。悪い事をするかもしれません。私は新しいオートバイや電話を
買ってあげた親がかわいそうだと思います。大変なことを経験したこと
がない人には他の人の大変さはわからないと思います。お金を使う
ことは簡単ですがお金を稼ぐのはとても難しいのです。学生はまだ
大変なことを経験したこともないし考えたこともないので物を無駄に
使ってしまうのでしょう。

学生は自分の電話やオートバイなどを今持たなくてもいいと私は思い

ます。運転の仕方もわからないし規則も守らない危ないからです。
また電話をなくす学生も多いです。買ってもらったものをすぐになくす
のはよくないことです。そして、とてももったいないと思います。

皆さんの大切なものはなんですか?私にとってはペンとノートです。

私が初めてもらったものはペンとノートでした。勉強ができたのもそれ
のおかげです。これは私が小学校に入学するときに母がプレゼント
してくれました。私は本当にうれしかったです。でも後で大切に使わ
なかったときに、私は母に叱られました。母は言いました。
「一つの物を持つ事は大変ですよ。きちんと物を大切にしなさいよ。
お母さんはお金がないんだから。」過去のことを思い出すと母の事が
かわいそうになります。家族は貧乏で母は一人で子どもを育てなけ
ればなりませんでした。いい物や高い物を使うこともありませんでした。
母に言われたとき、私は物は大切に使わなければならない!と思い
ました。

今は母と離れて孤児院に住んでいます。もう6年になります。

今年、私は高校1年生になりました。孤児院の指導員に色々なアドバ
イスをしてもらったおかげで、私はだんだん物の大切さがわかるように
なりました。今、私は学生ですからペンやノートは大切に使わなければ
なりません。もしそれがなかったら、勉強することができないからです。
今、このスピーチが書けるのもペンがあるからでしょう。学生にとって
必要なものはなんですか?オートバイや電話でしょうか?

もしあなたが誰かに物をあげてその人が大切にしないのを見たら

どんな気持ちになりますか?私なら怒ると思います。そして残念な気持
ちになって、そのあともう何もあげたくなくなると思います。あげたものを
大切に使っていたら、あげた人はうれしいでしょう。人からもらったもの
は大切にしなければなりません。私は、最近物の大切さについて考えて
います。そして、自分の物や人の物を大切にするようにしています。
もし物を大切にしなかったら、すぐ壊れるしお金も無駄になるし、物が
たくさん壊れたらゴミがたくさん出て街が汚くなるでしょう。

皆さんにとって大切なものはなんですか?

大切な物をどうやって使いますか?物はどんな物でも大切です。
皆さん、物を使うときはよく考えて大切に使いましょう。

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2007年 第10回日本語スピーチコンテスト 男子1名出場 2位入賞


「謝る言葉の大切さ」ジェム・ソパナー
世界には約200の国があってそれぞれに国語があります。私はカンボジア
人ですから、毎日の生活の中でクメール語を話します。そして私は日本語
と英語も勉強しています。

皆さん、言葉について考えたことがありますか?話し方によって丁寧じゃ

なくなったり失礼になったりすると言う話をよく耳にします。話すことで人と
人はけんかにもなりますが、よく話し合えば解決することもできると思います。

問題を解決するためにどんな言葉をつかいますか。私はこれから1つの

言葉についてお話したいと思います。

「ごめんなさい」という言葉です。クメール語では「ソムトー」、英語では

「アイムソーリー」と言います。言葉は違いますが、意味は同じです。
皆さんはこの言葉を使ったことがありますか?どんなときに使いますか?
これは誰でも知っている言葉です。「ごめんなさい」は誰かに失礼なことを
してしまったときに使います。もし誰かが自分に失礼なことをしたらどんな
気持ちになるでしょうか?怒って嫌いになるかもしれません。でもその人が
謝って「ごめんなさい」という言葉を言ったら、あなたは許そうと言う気持ち
になると思います。皆さんは誰かが自分に失礼なことをしてしまったときに
その人を許してあげたことがありますか?

私の家族は貧乏でした。父と母は朝から休まないで働いていたので、

言葉の使い方についてあまり教えてくれませんでした。私はよく、悪い言葉
を勝手に使っていました。悪い事をしたとき謝らないこともたくさんありました。
小さい頃はあまり人の気持ちがわからなかったのでよく周りの人に迷惑を
かけていました。でも村の人たちは誰も私にアドバイスしてくれませんでした。
今、私は家族と離れて街の孤児院に住んでいます。孤児院には私にアドバ
イスしてくれたり教えてくれる指導員がいます。「もし誰かに迷惑をかけたり
失礼なことをしてしまったら、きちんと考えてから『ごめんなさい』と言う言葉
で謝りなさい。」指導員はいつも子どもたちに言っています。

ある日のことです。私が教室の前で遊んでいたとき、水たまりを踏んでしま

って、隣の学生の服を汚してしまいました。そのあとで彼の顔を見ると怒った
顔をしていました。私はどうしようかなと考えましたが、もし今謝らなかったら
彼はきっと怒るだろうと思いました。彼の近くに行って言いました。
「ごめんなさい。あなたの服を汚すつもりはなかったんです。どうか許して
ください。」すると彼は優しく言いました。「うん、大丈夫ですよ。」そしてその
後で「水たまりの近くで遊ばないほうがいいですよ、危ないですから。」と
アドバイスしてくれました。私はその言葉を聞いてとてもうれしかったです。
何日かして私は彼に会ってよく話すようになりました。一緒に遊んだりして、
私と彼は友達になりました。もし指導員が私に謝る言葉について教えてくれ
なかったら、私は何もしなかったでしょう。そして私と彼は友達にならなかった
と思います。

皆さんは言葉の使い方についてどう思われますか?私は自分で謝った経験

の後で、言葉の大切さについて前よりもっと考えるようになりました。

人間の生活の中で話すことはとても大切なことです。言葉にはいい言葉も

あるし悪い言葉もあります。ですから、気をつけて話さなければなりません。
私は今、相手のことをよく考えて話すように気をつけています。自分で話す
言葉には自分に責任があります。きちんと話せば問題は起こらないはずです。
私は「ごめんなさい」という言葉を言えるようになりました。私はこの言葉をこれ
からも大切に使っていきたいと思っています。

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2006年 第9回日本語スピーチコンテスト  男子3名出場 1・2位入賞


1位 チウ・ヒーア 「恩を忘れない心」

皆さんは自分の親以外にお世話になっている人がいますか。

誰でもお世話になっている人がいると思います。カンボジアには、貧しい生活を
送っている人がたくさんいます。そして、その人たちを支援する外国人やカンボ
ジア人もたくさんいます。皆さんの中にも他の方々の支援で学校に行ったり会社
に就職した方がいらっしゃると思います。

私は貧しい村で生まれました。村では学校へ行くことも自分で勉強することもで

きませんでした。2000年に私はシェムリアップにやってきて、ある孤児院で生活
することになりました。その日から私は家でできなかったことができるようになり
ました。今、私は高校に通っています。孤児院の指導員は厳しい人ですが、心の
中はとても優しい人です。もし、私が間違ったことをしたら、すぐに叱って間違いを
正してくれます。どの子もえこひいきなしにかわいがってくれて、いつも私を応援
してくれます。怪我や病気をしたときは、1日中看病をしてくれます。私がかかとに
大怪我をしてしまった時も指導員は手厚い看病をしてくれました。私はうれしくて
涙が出ました。指導員だけではありません。孤児院には訪問して下さる日本人の
方々や日本語や英語の先生にも大変親切にしてもらっています。このように私は
色々な方から恩を受けています。もしその方々がいなかったら、今、私はこのスピ
ーチを書くこともできなかったでしょう。本当に心から感謝しています。

しかし、孤児院でとても残念な出来事がありました。長い間一緒に生活していた

子どもが孤児院を出て行ってしまったのです。その子どもは指導員のアドバイスを
無視して自分勝手なことをしたり、口答えをしたりしていました。どうして出て行った
のか彼の気持ちはわかりません。しかし、受けた恩を忘れて、お世話になった方々
に感謝の気持ちも伝えずに、孤児院を出て行ってしまうのは大変失礼なことだと
思います。子どもが出て行くとき、指導員は笑顔で見送っていましたが、きっと心
の中では泣いていたでしょう。皆さん、もし誰かのために何かしたのに、それが無
駄になってしまったら、どんな気持ちになるでしょう。私はお世話になった方々が
がっかりする顔は見たくないです。私は毎日、自分の将来のために、一生懸命
勉強したり、小さい子どものお世話をしたりしています。今はまだ、お世話になって
いる人に何も恩返しすることはできません。

人が生きているのは人のおかげです。私はこれからも孤児院の指導員が教えて

くれることを素直に聞いて、頑張って勉強したいと思っています。そして、将来は
孤児院で学んだことをいかした仕事がしたいと思っています。今、私はしていただく
ばかりで、お世話になっている方々に何かをしてさしあげることはできませんが、
将来は孤児院の指導員のように、次の時代の子どもたちの世話をしたいと思って
います。人は思いやりを持つ事が大切です。僕が親切にした人が次の時代の人
たちにその気持ちを伝えて、そしてまた次の時代の人たちへ、次から次へと続い
ていけば、人を思いやれる人がどんどん増えて行くでしょう。親切な気持ちは親切
をうむのです。皆さん、お世話になった人に対して恩をあだで返すようなことを絶対
にしてはいけません。
お世話になった方への気持ちを忘れずに、自分も誰かに親切にすることは、お世
話になった方への恩返しにもなると私は思います。
皆さんはどう思われますか。


2位 ブン・ソチア 「あいさつ」


皆さんはお客さんとしてよその家におじゃましたことがあるとおもいます。

その家の人に会ったとき、初めに何をしますか。あいさつをするでしょう。
あいさつする言葉はどの国でも使われています。日本では、おはようご
ざいます、こんにちは、こんばんはなどが使われているでしょう。私の国
カンボジアでよく使われている言葉は1つだけです。それは「チョムリアップ
スー」です。

これから私はカンボジアのあいさつする習慣についてお話したいと思います。

カンボジア人が「チョムリアップスー」という言葉を使うのはよその家を訪ねる
ときです。必ず手を合わせてあいさつする習慣があります。なぜそのときに
あいさつしなければならないのでしょうか。私はよその家におじゃまするときは
その家の人に対して尊敬の気持ちを表さなければならないからだと思います。
もしあいさつをしなかったら、その家の人に非常識な人だと思われてしまうで
しょう。

しかし残念なことですがカンボジアにはあいさつする習慣がない人もいます。

特に今の若い人に多いです。これから私の友達を例としてお話したいと思い
ます。

ある日学校に行きましたが、先生が来なかったので友達が私の家に遊びに

来たいと言いました。私の家は孤児院センターです。私は彼を家に連れて
来る前に、「もしセンターの管理人さんや日本語の先生に会ったらきちんと
あいさつして下さい。」と彼に言いました。連れてきたとき日本語の先生に会
ったので、私は先生に「ただいま」と言いました。しかし、彼は先生が「チョムリ
アップスー」と言ったのに何も返事をしませんでした。皆さんはもし誰かにあい
さつしたとき、相手の人が無視して何も返事してくれなかったらどんな気持ち
になりますか。そしてその人をどう思いますか。

私は小さい頃、あいさつすることについてはあまり考えていませんでした。

しかしセンターに来て、指導員の日本人と一緒に住み始めてから、お客さんが
来たときはきちんとあいさつするように教えてもらいました。私がセンターに来
たお客さんに初めてあいさつしたとき、彼らはうれしそうに笑って返事してくれ
ました。そして、そのあとで色々な話をたくさんしました。そのとき私はあいさつ
が大切だということがよくわかりました。もし私があいさつしなかったら、親しく
話をすることができなかったでしょう。今、あいさつは自分の習慣の1つになり
ました。

私は自分の友達を失礼な人だと心の中で思いましたが、もしかしたら彼は前の

私と同じで、あいさつのことをあまりよく理解していないのかもしれません。私は
彼に「どうして先生にあいさつしなかったの」と聞いてみました。すると彼は、
「恥ずかしくて言えなかった」と答えました。たぶん友達は小さい時から誰にも
あいさつのことを教えてもらう機会がなかったので、あいさつする習慣を持って
いないのでしょう。私は「あいさつするのは大切な習慣ですから恥ずかしいこと
ではありません。あいさつしないことのほうがとても恥ずかしいんですよ。」と
アドバイスしました。

皆さんはあいさつについてどう思われますか。人間の毎日の生活の中であいさつ

はとても大切なことです。あいさつをしなければ尊敬することもできません。
そして、相手の人を尊敬できなければ、その人と付き合うこともできなくなってしま
います。「チョムリアップスー」私はこの言葉をこれからも大切に使っていきたいと
思っています。

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