ついにこの日が来たかぁ・・・と思いました。
以前から彼女がいることは聞いていたし、2人が遺跡にいるところにばったり
出くわしたりしていたのですが、もう結婚なんですねえ。
私が2000年に施設での仕事を始めたときにはすでにラーヴォはここに住んで
いました。(孤児院創立は1998年)
とても華奢で、外遊びはあまり好きではなく、女の子たちとのおしゃべりを好む
おとなしい男の子でした。
学校の勉強も、施設内の日本語教育でも成績はいつもトップクラス、でもがむしゃら
に勉強している姿を見たことがない不思議な子でもありました。
ラーヴォについての詳しいお話はこちらから↓
「卒業生のはなし② ラーヴォの巻」~いままでと、これからと A day in my life~
卒業してから1年間はプノンペンで仕事し、その後シェムリアップに戻ってからは
暇があれば施設に遊びに来て子どもたちの様子を見てくれたり、私との時間も
作ってくれています。
先日、披露宴の招待状を持って私のところにも来てくれました。
ガイドの仕事をするために所属していた旅行会社を1月末に退職、独立、そして
結婚と忙しい日々を送っていたのは知っていたので、お母さんには招待状はいらない
からねと話していたにもかかわらず、わずかな合間を縫ってきてくれたのです。
招待状のデザインはちょっとこだわったみたいです |
話してくれていました。
カンボジアの結婚式は数日にわたって執り行われることが多く、ラーヴォも今月
13日には奥さんの村の実家で儀式があったり遺跡で写真を撮ったりして、
14日がいわゆる披露宴(ニャムカーと言います)があります。
スナーダイ・クマエからは子どもたち、職員みんなで駆けつける予定です。
ガイドや通訳などの仕事柄、外国人とのお付き合いも多いラーヴォはその後22日
にも町で披露宴を行います。
私は13日終日訪問者対応なのですが、ラーヴォの日本語の師匠ともいえる
佐々木愛先生(スナーダイクマエで7年間日本語教師をしてくれました)がなんと
日本からお祝いに来てくれるとのことで、彼女に写真撮影をお願いしています。
もうすぐ晴れの日を迎えるラーヴォから新しい写真が届きました。
(本人から掲載許可有です)
新婦ナリーさんと・・・ |
あの華奢だったラーヴォがこんなに立派な青年になって・・・・
まだ29歳、これからなんでも挑戦できるし、これからは1人ではないんですよね。
1人ではないぶん責任もあるけど、それ以上にナリーさんが力になってくれる
ことは間違いないです。
幼いときにスナーダイクマエで身につけたいろいろなことを仕事や対人関係で
活かしてくれているラーヴォですが、これからその経験と思いやりを自分の
家族に思う存分注いでほしいと思っています。
また披露宴などの様子をここでお知らせしますのでお楽しみに。
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