2011/04/28

しばらくお休みしていましたが

2月末からブログの更新が滞っておりました。

そして3月11日の震災。
在住の友人から日本で大きな地震があったと聞いて、NHKの海外放送を
ずっと見ていました。

私は16年前神戸に住んでいて、阪神大震災に遭いました。
大学生だった私は神戸で一人暮らしをしていたので、私には帰ることの
できる実家が和歌山にありました。
実際神戸にいたのは数日でそのあとは実家に避難していました。
地震の怖さは経験からよくわかりますが、それで家族を失った方々や
家や仕事を失った方々の心中は想像することしかできないのが実際の
ところでした。

「地震を経験したからわかる」
なんて、とてもじゃないけど私が言うことはできません。

今回の地震では様々な思いがあり、孤児院の日常を書くこのブログにも
記事を書く気持ちが起きないまま今日になってしまいました。


震災後すぐにこちらの在住の有志によるチャリティーバザーが開かれ
多くのカンボジア人が協力してくれました。
私がいつもお世話になっているPITA社の大塚めぐみさんから声が
かかり、活動に参加させて頂きました。
物品販売、飲食販売、Tシャツ販売、そして募金で合計約1万ドルの
義援金が集まったそうです。
特にカンボジアの人々の関心が高く、準備をしていた前日の段階でも
多くの方が義援金を持って訪ねて来てくれたのは印象的でした。


孤児院でも英語教師のナット先生が100ドルを私に託し「困っている人
たちのために使ってほしい」と言ってくれました。
月給のほとんどを持って来てくれた先生に私が「こんなにたくさん・・・」
というと、「カンボジアは長年日本と言う国にお世話になってきたのだ
から、今が恩返しするときです。もっとたくさんしたいけれど、これだけで
申し訳ないです。」と言われました。

日本人の若者が多く宿泊しているタケオゲストハウスのオーナーも
義援金を私のところに持って来てくれて、
「とにかくなにに使ってくれてもいいから、日本の困っている人のために
送ってほしい。私のゲストハウスはほとんどが日本からのお客さんだし
他人事には思えないから。」と言いました。

そして孤児院の子どもたち。
年齢に応じて、1ドルから3ドルまで月々のお小遣いを渡していますが
その中からみんなで約25ドルのお金を集めて持って来てくれました。
スタッフも協力してくれたようです。

私が預かった義援金は、震災により孤児となった子どもたちのための
支援に送りたいと考えています。


カンボジアに住んでいると、日本にいる以上に自分が日本人であることを
感じる機会が多くなります。
カンボジアの人から日本人として見られてることを再認識するのです。
そして今回の身近な人たちの行動から、日本と言う自分の国がこのカンボ
ジアに対してこれまでしてきた国際協力、個人レベルの交流がこの土地の
人々に伝わっていたのだということを強く感じました。


そして自分には何ができるか考えていました。
NGOの日本人スタッフたちで月に一度ミーティングをしているので、そこで
私たちにもできることがないか提案させてもらいました。
そこでTシャツ販売を行い、売上を義援金にしようということになりました。
町にある色々なお店に置かせてもらって、今も販売を続けています。

お店は下記一覧をご参照ください。
ホテル・アンタヌー
リラックス&リゾートアンコールゲストハウス
サオマオ
リトルインディア
米咲(まいさ)
ジェニーズフュージョンスシ
タケオゲストハウス
R-Angkor
カフェモイモイ
ボティアライフ
アンコールクッキー
SALA
アプサラホリデーホテル
芭蕉
ミスターグリル


私たちのNGOも日本からの支援があって活動を続けられ、今に
至っています。
カンボジアの人たちが日本に恩返ししたいと言ってくれているように
私たちも同じ気持ちでできることをしたいと思っています。


そして個人的な思いとしては、細くても長い関わり方のできる恩返し
をさせてもらいたいのです。
今すぐに何かできることは限られていても、忘れずにいることで自分
にできることが見つかると思っています。


四十九日法要が各地で開かれている今日、改めまして、犠牲者の
方々のご冥福をお祈りすると共に被災者の方々が1日も早く穏やか
な日々を取り戻せますよう心からお祈り申し上げます。

4 件のコメント:

  1. ずぅ~~~っとブログの更新を待っていました。
    心配しましたが、先日の赤尾和美さんのブログでTシャツ販売等に参加されているのを知り、安心したところです。
    私達が毎年訪問しているコンポントムの小学校でも村人が日本の大震災を知って義援金を集めて校長先生経由、PHJ現地事務所に届けられました。
    使い古した100リエル札が輪ゴムで束ねられ、107,500リエルありました。
    日本円にすれば2,500円程度ですが、村人にすれば大変な額であり、とても感激しました。
    シェムリアップでの支援活動、ナット先生から孤児院の子供達までがそれぞれ精一杯の義援金に頭が下がります。
    私の沢山の友人も福島県南相馬市で被災してしまいました。
    地域を越え国を越えての人々の支え合いがこんなにも素晴らしいものと、改めて思い知らされました。
    今日本では自粛ムードから覚めて、普通通りの生活で沈んだ経済を盛り返そうとの意識が芽生えています。
    完全な復興までには長い期間がかかるでしょうが、世界の人々の支援を忘れずに、私も頑張りたいと思います。

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  2. 宮沢様

    ご心配おかけしてすみませんでした。

    赤尾さんはじめ在住のNGOメンバーたちと支援活動も
    させて頂いています。
    大きなことはできませんが、今の自分たちにできること
    をさせてもらいたいと思っています。

    私は孤児院の関係者であるカンボジア人が協力してくれ
    たことが本当にうれしかったです。
    宮沢さんのおっしゃるコンポントムのお話もそうですが
    カンボジアの人たちも日本のことを考えてくれています。

    被災された方々にとって復興とはそう簡単に言って欲しく
    ない状況だと察しています。
    あまりにも被害が大きすぎますよね。

    私たちは遠く離れていてできることなど本当に限られて
    いますが、とにかく忘れないこと、自分にさせてもらえる
    ことを見つけようとする気持ちを持ち続けることだと
    思っています。

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  3. 仕事大好き・K

    自宅の近くに、被災者の方が50人ほど見えたので、
    カットボランティアさせていただきました。
    当日のお話を聞くと、とても心が痛み、何をしてあげる事が・・・・・。
    耳を傾けて聞く事しか出来ない自分が居ます。
    1組のご夫婦とは、お友達に成ったので、これからも長くお付き合いが出来ればと思います。

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  4. Kさま

    コメントありがとうございます。
    Kさんがお住まいの県も大変だったのにカットボランティア
    もされていたんですね。頭が下がります。
    そのご夫婦はKさんとお話しすることできっと心が休まった
    部分があるのだろうと、勝手ながら想像しています。

    たいしたこともできない自分をもどかしく思いますが、
    何よりも被災した方々が一番大変な思いをされている
    わけですから、私も自分にできることを考えて行動して
    ゆきたいと思っています。

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